21/08/2024
なぜに小宮久はコンゴ民主共和国に行ったのか? 9上梓に向けて
数か月間にわたり筆が止まっていた 最近はタイプが止まっていたと言うのか?
近代史になるにつれ コンゴ民主共和国は、辛い話題しかない 常に民が、苦しい思いをしている。
この国を発つ時 日本に戻っている場合か?と思いながらも 安全と綺麗な空気と水が、ほぼタダ同然な幸せな
故郷に戻れる事を安堵する。東京に着いて半日もするとコンゴ民の事など忘れて仕事をし贅沢な飲食をし
人間とは、罪な生物と実感するのであった
少し歴史を戻し日本人に馴染みのある話題や恥ずかしい話題に触れて行こうと思う。
1974年10月30日ベトナム戦争徴兵を拒否してWBA・WBC統一ヘビー級王座を剥奪されたモハメド・アリが
ジョージ・フォアマンに挑戦し、ザイール首都キンシャサで "The Rumble in the Jungle"(キンシャサの奇跡)
と言われるボクシング世界王者戦がなぜか?行われた。当時モブツを支援しているアメリカに批判や反対意見が多く
フォアマンに対してヤジと罵声が飛び交い モハメドアリへの応援で後にアントニオ猪木への応援歌になる
アリ ボンバイエ!! "Ali bomaye!" が全米にも放送されご存じ様にモハメドアリが王座奪還した。
イノキ ボンバイエ で 猪木頑張れでは、ない これ、スワヒリ語で アリ 殴れ!! イノキ 殴れ!!である。
エボラ川流域でエボラ出血熱が、発症確認された 1977年
第一次シャバ紛争1977年3月8日 第二次シャバ紛争 1978年5月11日
コルヴェジの戦い1978年5月18日
COVID19 2019年 人類は、所謂 最強の疫病に見舞われた。 DNA RNAと言う設計図を持つ動植物は、この設計図を
崩されると意図も簡単に滅亡する。当時ザイールだったこの地域は、今もエブラ出血熱に悩まされてる。
あくまで小生の見立てではあるが、エボラ出血熱アンチ黒人 サーズ アンチイエローアジア COVID19 アンチ白人
であろう。
小生は、コンゴ民でエボラにかかっていると思う あの時の全身からの出血は多分そうだ。
上記の通り アジア人には辛かったけど 意外と大したことは無く 五キロ痩せたけど
2,3日ポカリスウェット粉末で水分補強したら治った
日本とコンゴ民と言えば 最大のODAに触れなければならない
マタディ橋(マタディきょう、フランス語: Pont Matadi)は、コンゴ民主共和国を流れる大河コンゴ川対岸を結ぶ唯一の橋。
1979年2月着工、1983年4月完成、同年5月開通。全長 722 m 主径間520mの吊橋。
1974年、コンゴ政府と日本政府間で借款契約が調印された当初は、鉄道輸送力増強計画として鉄道と橋の建設が計画されていた。
オイルショック等の経済情勢の急変により、橋のみの建設となった。
1979年日本企業のコンソーシアムによって着工し、コンゴ側はバナナ・キンシャサ交通公団が事業にあたった
主径間520m、13,100トンの鋼材で建設された
ここには、日本の優秀な若い建設エンジニアが、多数派遣されマタディの町はさながらリトル東京の様だったと聞いた。
小生が、イスラエル、ベルギー、米国から戻って 瀬島龍三氏にお仕えしてた時 様々な大企業の役員連中が、お会いした時
なぜかコンゴ民にいたと教えてくれていた。当時の日本建設技術の結晶だったのだ。
ただ 若い男性エンジニア達が、沢山異国に集まると当然のごとく 恋愛だったり浮世話が生まれるもので
コンゴ民のマタディも日本の若い者と現地女性の色々が、あって なぜか 日本人に似た所謂ハーフが、いるのである。
良くないのは、この件に関しては、個々の事とは言え何故か誰も触れず玉虫色のまんまである。
日本人男子としては、非常に恥ずかしい どうにかならないものかと動いた事もあったが、日本人ハーフと言われる
人々が、もう60代だし なんかなあーって感じであり、親も亡くなっているので難しいのか。